
『仙台さんは知らない私の記憶』
冷蔵庫にはキャベツが一玉とじゃがいもが二個。
豚肉と鶏肉は入っていないけれど、卵はある。
仙台さんがいたら、文句を言いながらもなにか作れるくらいの材料ではあるのだろうけれど、今日は呼んでいない。だから、なにか作るのなら自分で作らなきゃいけない。
「……野菜炒め?」
静かすぎるキッチンで一人呟く。
開けっぱなしの冷蔵庫は返事をしない。
おかげで野菜炒めを作ることが正解なのかどうかわからない。
「やっぱりやめよ」
冷蔵庫のドアを閉めて、電気ポットでお湯を沸かす。カップラーメンを取り出してカウンターテーブルの上へ置き、椅子に座る。
たまには料理をしてもいいかもしれないと思ったけれど、レシピを調べてまでなにかを作ろうという気持ちにはなれない。
向いていないことをわざわざする必要はないし、慣れないことなんかしないほうがいい。でも、仙台さんが美味しいものを作るせいで、ほんの一瞬だけれど料理くらいできたほうがいいのかもしれないなんて考えてしまう。
昔の私のほうが良かった。
ご飯なんてどんなものでも良くて、お腹がいっぱいになればそれで問題がなかった頃は、食事で悩むことなんてなかった。一人で食べることが当たり前で、美味しいご飯なんてものを食べたいと思わない私のほうがここでは生活しやすい。
こだわりなんてないほうが楽だ。
来月には十二月になって、冬休みもやって来て、あっという間に高校を卒業することになる。そして、大学生になれるのかどうかはわからないけれど、この家に仙台さんが来ることがなくなり、私たちは一緒に食事をすることがなくなる。
テーブルの上のカップラーメンをじっと見る。
別に嫌いじゃない。
種類がいっぱいあって、味も悪くない。
ただ、お母さんがいた頃はほとんど食べなかったものだ。そして、お母さんがいなくなってからもしばらくは食べなかったものだ。
記憶は辿らないほうがいい。
そう思うけれど、記憶の海に沈んでいく。
浮かび上がろうとしても、記憶の切れ端が絡みついて身動きが取れず、どんどん、どんどん、深く、深く、思い出したくないところまで沈み続け、家族が家族だった頃の記憶に辿り着く。記憶の断片が視界を覆い、お母さんとの食事を思い出させる。
今よりもずっと前、食事は家族とするものだった。
お父さんが仕事でいない日もあったけれど、お母さんとはいつも一緒にご飯を食べていた。ご飯は楽しいもので美味しいものだったように思う。そういう毎日が当たり前すぎて、なくなるものだとは思っていなかったけれど、お母さんが作っていた食事は、お父さんが作るものになり、いつしかゼロと言ってもいいくらいこの家で誰かと食事をすることがなくなっていた。
お母さんが最後に作ってくれた食事は覚えていない。
お父さんが最後に作ってくれた食事も覚えていない。
そして、私は家族の想い出を反芻することに飽きて、広い家で食事を一人ですることに慣れてしまった。
期待は落胆を倍にして、人を絶望させる。
楽しくて美味しかった食事がなくなった私は食事をすること自体が嫌いになりそうで、食事は誰とするのかは重要ではなく、お腹を満たすことができればそれでいいと思うようになった。そう考えると、すべてが楽になって家族とした食事の記憶は心の底のもっと下に沈めることができた。
カレンダーに印をつけていた子どもの私はもういない。
今日のように記憶が蘇ることもあるけれど。
私は、はあ、と息を吐き出して立ち上がる。
仙台さんのせいで食事が美味しいものだということを思い出してしまったから、余計なことばかり考えてしまう。
思い出したくなかった記憶を心の底の底に沈めながら、料理くらいお母さんに習っておけば良かったのかもしれないなんて思ってしまうから気が滅入る。
お母さんは料理を習う前にいなくなった。
お父さんは小学生にはまだ早いと言って、包丁を持たせてはくれなかった。
もしも、お母さんがいなくなる前に料理を教えてと頼んでいたら。
もしも、お父さんが小学生にはまだ早いと言っても料理を教えてと頼んでいたら。
なにかが変わったのだろうか。
冷蔵庫が食材でいっぱいになっている今日なんてものがあって、料理が趣味だなんて言って誰かに振る舞っている。そういう私になっていたら、冷蔵庫の中を見て憂鬱な気持ちになったり、仙台さんと食事をする未来がなくなることを惜しんだりするようなこともなかったのかもしれない。
過去が変われば未来も変わるはずだ。
そうなったら、仙台さんとは――。
私はカップラーメンを元あった場所に戻す。
冷凍庫からご飯を取り出し、電子レンジで温める。
レトルトのカレーを用意して、ため息を一つつく。
「お腹が空かなくなればいいのに」
私は、子どもの頃に何度も呟いた言葉を呟いた。
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