
「たまにはちゃんと掃除でもするか」
俺は証券会社勤めの忙しさにかまけて、家事をサボりがちな自分に喝を入れるように呟いた。
両親は既に他界し、恋人もいない俺は天涯孤独の身。何でも一人でやらなくてはいけない。
「えっと、この段ボールには何入れてたっけ――ああ、ギャルゲーか……。昔よくやったな」
部屋の隅の段ボールを開けて呟く。
学生時代、俺は生粋のギャルゲーマーだった。ギャルゲーはモテない俺のオアシスであった。
「まとめてどっかに適当に売るか……。それにしても、懐かしい。これとか、好きだったな」
俺は、段ボールの中から、一本のギャルゲーを拾い上げた。
そのタイトルは『曇りなき青空の下で』、通称『くもソラ』という。
くもソラは、と〇メモタイプのシミュレーションゲーではなく、選択肢を選んでストーリーを読み進める、いわゆる『紙芝居ゲー』である。内容としては、日本の田舎を舞台にした和風伝奇ホラー要素を含む泣きゲーだ。
オタクの間での知名度は低いが、当時は全くの不人気ではなく、計三シリーズが発売される程度には売れた。総合的な評価としては、名作には遠く及ばず、佳作――程度な感じだろうか。
「そういや、これが初めて買ったギャルゲーだっけ」
懐古的な気分になった俺は、他の段ボールから時代遅れの家庭用ゲーム機を引っ張り出してきて、ギャルゲーのディスクをセットした。メモリーカードも……、よし。まだ生きてる。
冷蔵庫からビールを取り出して、ゲームを起動した。
抜けるような蒼穹をバックに、タイトル画面が俺を出迎える。
実は、このゲーム、初プレイ時はタイトル画面のバックが完全な曇り空だが、ヒロインを攻略するたびにちょっとずつ空が晴れていき、トゥルーエンドを迎えると、今のような『曇りなき青空』が現れる演出になっている。つまり、当時の俺はこれを全クリしたということだ。
早速、『はじめから』を選択する。
『――ぬばたま。三日月。紅の蝶。破れた蚊帳。朽ちる黄金。蛭子の神楽』
意味深な単語を呟く、重苦しい着物を羽織った黒髪の女。
「ああ、そうそう。この感じ」
俺はその、トゥルーエンド攻略対象(ラスボス)のセリフを途中で遮って、速攻スキップボタンを押した。そして、主人公が目覚める。彼は何も覚えていない。
当時は引き込まれたが、今から思えば陳腐な演出だ。
(つーか、夢のシーンから始まるギャルゲー多すぎじゃね?)
俺はスキップを駆使して読み飛ばしながら、ゲームを進めていく。
そんなんで内容が分かるか?
もちろん分かる。何度もやったゲームだし、実を言うとただのおっさんリーマンの俺にも、一つだけ誇るべき特殊能力があるからだ。それは、『カメラアイ』と呼ばれる、『瞬間記憶能力』であり、俺は一度見たテキストなら、どんなものでも細部まで思い出すことができる。
じゃあなんでもう一回やる必要があるのか。
それは、ギャルゲーとはストーリーだけじゃなく、音楽、絵、テキストが渾然一体となって生み出される総合芸術だからだ。テキストだけ思い出しても、意味がないのである。
ともかく、主人公の少年時代のパートがスタートする。
『ぷひひ。ゆーくん。おはよ』
寝起きの主人公の身体の上に乗っかっている金髪ツインテールの美幼女が、満面の笑みと共に挨拶してくる。彼女の名前は、御神美汐。くもソラのメインヒロインであり、いわゆる『天然ドジっ子幼馴染キャラ』である。鼻をぷひぷひ鳴らすので、主人公から『ぷひ子』というあだ名で呼ばれている。
「そもそも、このメインヒロインは あんまり好きじゃないんだよなあ」
俺はどうもマイナー厨の気があるらしい。あまり知名度のないゲームを好きになるし、ヒロインも不人気の奴から攻略したくなることが多い。
「別のヒロインを――おっ。さすが俺。こまめにセーブデータを整理してある」
スキップとロードを駆使して、数時間で再び全ヒロインを攻略し直し、プレイを終える。
「ま、こんなもんだよな」
懐古欲は満たされたが、やはり昔のように感動はできなかった。
俺ももう、三十代も後半。創作物とはいえ、キラキラした青春の物語を――ギャルゲーを素直に楽しめる年齢ではなくなってしまったということだろう。
どこかもの寂しい気分になった俺は、そのまま寝酒のビールを煽り、ベッドに倒れ込んだ。
* * *
「ぷひひ。ゆうくん。おはよ」
目が覚めたら、眼の前にパジャマ姿の美幼女がいた。
彼女は俺の顔の両横に両手をつき、ぷひぷひと笑っている。
(え? なに? 夢かよ。どうせだったら、俺の好きなヒロインが出てこいや)
昨日、懐かしのギャルゲーをやったせいだろうか。混乱した意識のままで、俺はその美幼女――御神美汐を無言で見つめた。
長いまつ毛をしばたたかせ、野性を失った家猫のようなくつろいだ顔。
その天使のような容姿に見合った、美幼女特有のミルクのような甘い香りが鼻をくすぐる。
いかにもなテンプレ幼馴染然とした姿。しかし、その唯一の例外たる口の端にひっついた茶色い塊が、これが俺にとっての都合の良い夢ではないと告げている。その正体は――いや、今はそれどころではない。
(おいおい。なんだよ。転生? どうせなら、異世界でチート生活がしたかったんですけど!)
半信半疑の状態ながら、どうやらここがくもソラの世界らしいと、俺は信じ始めた。
「もー、なにぼーっとしてるの。はやくしないと朝ごはんが冷めちゃうよ。今日はね。茨城県からおとりよせした、いい納豆の日なんだよ。起きないともったいないよ!」
ぷひ子がこちらに顔を近づけてくる。
(原作通りならここで選択肢が――出てこない?)
たしかゲームならここで
→『自分の分の納豆を賄賂に渡す』
→『一緒に寝ようと誘惑する』
→『素直に起きる』
な感じで選択肢が現れたはずだが、現在特にそういう兆候はない。某ラノベのように脳内選択肢が発生するシステムではないようだ。
俺は、とりあえず、素直に起きることにした。
そのままぷひ子に手を引かれ、お隣のぷひ子家へと向かう。
ちなみに、ここが本当にくもソラの世界だとすれば、家には俺一人だろう。俺が憑依だか転生だかしてしまったらしい、くもソラの主人公『成瀬祐樹』の父親は、滅多に家に帰ってこない。
主人公の父親は考古学者の設定で海外を飛び回っており、ギャルゲーのセオリーどおり、基本的には家を空けている。なお、母親と父親は離婚している父子家庭の設定だ。完全な育児放棄だがなぜかギャルゲー時空では許されるそれを補うため、美汐の両親が主人公(俺)にあれこれ世話を焼いてくれているのだ。当然、接触機会が増えるとぷひ子と主人公は幼馴染になりフラグが立つというテンプレな設定である。
「おはよう。ゆーくん。上手くできてるかしら」
「はい。美味しいです。いつもごちそうさまです」
俺は、妙にエロいぷひ子ママの作ってくれた朝飯を口にしてから言う。なお、彼女はファンディスクで攻略対象になり、色んな意味で某掲示板のスレが荒れた。
「そんなにかしこまらなくていいのよ。ゆーくんは私たちにとっても家族みたいなものだから――あら、美汐、口の端っこに納豆がくっついてるわよ」
「ぷひゅひゅー、ほんとだー」
ぷひ子が自身の口の周りをまさぐり、納豆を取って食べる。
もう、せっかく俺がスルーしてあげてたのに、ぷひ子ママがバラしちゃった。
納豆は、ぷひ子の好物であり、彼女のトレードマーク的な食べ物である。
実は、さっき、寝起きの俺は、危うくぷひ子の納豆付き唇にチューされるピンチだったんだよね。
でも、納豆臭いキスはぷひ子ルートのクライマックスのキメシーンのイベントだから、簡単にさせてやる訳にはいかねえな!
(味覚もちゃんとあるし、やっぱ夢じゃないか……)
朝食を全て腹に収める頃には、俺は冷静さを取り戻していた。
(俺はくもソラの主人公、成瀬祐樹になった。作中通りの設定なら、俺は今、小学校二年生。時代は作中では明示されてないが、西暦二〇〇〇年を迎えて数年以内)
つまり、今から大体二十年くらい前。パソコン経由でネット環境はだいぶ普及したが、携帯はガラケーの時代だ。
「あれー、ゆーくん。ジュースいらないの?」
「いらん。お前にやる」
『ずばり健康おかめ味』という、納豆エキス入りのゲロ不味い缶ジュースを横目に、俺は呟く。
「ぷひゃひゃ。ゆうくんやさしー! だから好きー」
ぷひ子は鼻を膨らませてぷひぷひと笑って、缶ジュースに手を伸ばした。
こういう突飛な食べ物でキャラ付けする文化、昔はあったなあ……。
「ねー。ゆーくん。このあと、神社でせみ取りするんだよねー。はやく行こうよー。みかちゃんも待ってるよー」
(きたっ!)
ここが、物語のプロローグであると共に、第一の分岐点だ!
今、ここで『蝉取りに行く』を選ぶと、その時点でぷひ子ルートに突入する。
『やっぱやめる』を選択すると、他のヒロイン攻略の道が開ける。
というか、そもそも、ゲームでは一周目はぷひ子ルートしか選べない。ぷひ子ルートは、このくもソラの物語の全体像を提示するイントロダクションの役割を果たしているからだ。
それはともかく、ぷひ子ルートを思い出そう。
このルートでは、俺とぷひ子とみかちゃんの三人で神社での蝉取りに向かう。ちなみにみかちゃんとは、もう一人の幼馴染であり、主人公の初恋の女の子だ。
三人で蝉取りを楽しみ、小学生らしくちょっと冒険したい気分になった主人公一行は、いつもは行かない人気のないやぶの中に分け入る。そこで、主人公はみかちゃんが好きなので、みかちゃんにモーションをかけ、なんやかんやでいい雰囲気になる。いちゃいちゃする主人公とみかちゃんにNTRで脳が破壊されたぷひ子は、いたたまれなくなってその場から逃げ出す。
そして、逃げ出した先でうらぶれた拝殿を見つけ、ふとした悪戯心からその中に入るのだ。そこには、ご神体が封印された箱が安置されており、ぷひ子はそれを知らず、悪戯心で封印を解いてしまう。そこで、ぷひ子はダイレクトに強めの呪いの気を受け、『ぬばたまの君』の怨念に取り憑かれる。
呪いはぷひ子の負の感情を増幅し、みかちゃんへの嫉妬心を爆発させたぷひ子は、拝殿からの帰り道に発生した遭難事故を利用して、みかちゃんを殺す。
まあ、正確には、殺すというより、『助けられたのに見殺しにした』のパターンだが、ともかく、みかちゃんは死ぬ。
この事故で、ぷひ子と主人公は心に深い傷を負い、ぷひ子のトラウマは『ぬばたまの君』の怨念を刺激して、歴史の奥に封印された呪いが発動し、国産みの神話の時代まで遡る壮大な伝奇ホラーストーリーが始まる――という訳だ。
つーか、ぷひ子、一見、天然キャラ風なのに、納豆みたいな粘着質な性格してるからね!
あ、ちなみにみかちゃんは、ぷひ子ルート以外だと普通に生き残って、青年時代にはちゃんと攻略対象になるので安心だゾ!
さて、問題はこの世界でのルート進行だ。もし、強制的にルートが定められていれば、俺は問答無用でぷひ子を攻略しなければならない。今の俺はみかちゃんを好きでもなんでもないが、わざわざ見殺しにするほど畜生でもないので、ぷひ子ルートは回避したいところだが……。
「んー、やっぱ気が変わった。今日は海に行こう」
「えー、蝉さんはー?」
「魚の方がいいじゃん。釣ったら食えるし」
「んー、わかった。じゃあ、帰りに駄菓子屋さんに寄ってくれるならいいよ」
「よし。決まりだ。みか姉にはお前から連絡しておいてくれ」
俺が電話すると嫉妬して変な地雷を踏かねないからね。全くこの納豆娘は。
「はーい。竿とかはゆーくんが用意してねー」
「わかった。一回家に戻って準備してくる」
(ふう。とりあえず、一周目のルート強制はないようだな。もしこの世界が全クリ済みの俺の攻略データを引き継いでいるのだとすれば、当然の話ではあるが)
ひとまずほっと胸を撫で下ろした俺は、自身の家へと引き返した。
黙々と釣り竿を準備しながら、思考を繰る。
(さて、俺がくもソラの主人公になったつーことは、俺はこのギャルゲーの適当なヒロインのルートをクリアしろってことか? 技術的には無理ではないが……)
ぶっちゃけ、ゲームとしての『くもソラ』をクリアするのは大して大変な作業ではない。そもそも、くもソラはそんなに難しいゲームではないのだ。どのヒロインであれ、エンディングに至るまでの積み重ねのパートでふざけた選択肢を選びまくって好感度を下げたりせず、かつ、終盤の二つか三つかある重要な選択肢を間違えなければ普通にクリアできる。
じゃあ何が問題かって?
その『過程』のストーリーがめちゃくちゃヤバイ。
例えばさっきのぷひ子のルートはさすがメインヒロインだけあって壮大で、『何千年も輪廻転生を繰り返し、呪いに至る因縁を解きほぐしつつ、一つの愛を貫く』というものだ。
文字にするとロマンチックな話だが、具体的には、応仁の乱から第二次世界大戦に至るまで、ひたすら戦乱の最前線に放り込まれる。なぜかっつーと、大古の昔、国産みの神々に捨てられた蛭子神の呪いが云々、人々の戦を誘発して云々な設定だからだ。
まさに艱難辛苦の地獄。ゲームなら、主人公がいくらひどい目に遭ってもいい。テキストをせいぜい一、二時間読めばそれで何千年をスキップできる。だけど、実際生身で何千年も輪廻転生を体験させられたら、確実に頭がおかしくなる。精神崩壊不可避だ。
(ともかく、ぷひ子ルートだけは絶対、攻略したくない。マジ辛い)
じゃあ、ぷひ子以外のルートなら良いのか?
いや、ダメだ。
その他のヒロインのルートも、『主人公がヒロインの呪いの一部を引き受けた副産物として得た不老不死とループの力で、怪物やら刺客やらに何度も何度も殺されながら強くなって、ヒロインを守り抜く』、『悪夢にとらわれたヒロインを探すために、サイ〇ント〇ル的なドロドロとグチャグチャしかない精神世界に挑む』、などなど、程度の差はあれど、どのヒロインのルートを選んでも、めっちゃ辛い目に遭う。
どれもギャルゲーとしてプレイするならともかく、実際には体験したくないものばかりだ。
くもソラは泣きゲーである。泣きゲーを盛り上げるためには、それ相応の障害が必要だ。それは分かるのだが、このゲームはその過程がとにかくきつい。グロくてエグいのである。
(そもそもこのゲームのライターの真骨頂は、陵辱&グロゲーだしな)
買った後から知ったことだが、このギャルゲーのメインライターは18禁ではその手のジャンルで有名な男だった。ライターの嗜好に合わないジャンルを書かされたのだろうか。憂さ晴らしのように、試練パートでは徹底的に主人公を追い込んでくる。もっとも、少年時代の俺は、「この尖りっぷり最高!」などと厨二な賛辞を贈っていたが、実体験するのは絶対にいやだ。
つーか、ストーリー上は不必要なほどの残虐で陰惨なシーンが、このゲームを佳作どまりにした原因だと思う。一般受けしない。本当は、ライターはひ〇らしをもっとドぎつくしたみたいなのを書きたかったのかもしれないが、商業的にNGを喰らった結果、当時流行っていた泣きゲー要素をねじこまれた結果のくもソラなのではと、俺は邪推していた。
さて、そんな考察はともかく、創作物だと、こういう俺みたいなゲーム世界に転生した人間が目指すべきは、誰ともくっつかないが、ひどい目にも遭わないノーマルエンドだが……。
(でも、このゲーム、ノーマルエンドなんてねえんだよな……)
全てのギャルゲーにノーマルエンドがあると思ったら大間違いだ。くもソラの場合、全員に興味のない選択肢を選び続けても意味がない。仮にそうした場合、最悪のワーストエンド――古の呪いが際限なく蔓延して、世界滅亡エンド――となる。
くもソラではヒロインの攻略と、ヒロインの悩みやトラウマに刺激されて発動してしまった呪いから世界を救済するのが、ニコイチでセットになっている。全てのヒロインは、昔この地方にいた、ラスボスの『ぬばたまの君』という女の血を引く、『ぬばたまの巫女になる素質を持つ乙女』であり、ラスボスのぬばたまの君と魂がリンクしているからだ。
基本、ゲームがハッピーエンドを迎える=ヒロインの悩みやトラウマが解消されて幸せになることによって、ヒロインとリンクしたぬばたまの君の魂が間接的に癒されて、呪いが収まる、という構図である(収まるだけであって解決ではない)。ちなみに、根本解決をするにはトゥルーエンドだが、あれはもう、言葉にしたくないくらいキツいので選択肢には入らない。
(んー、正攻法でいくなら、なるべくマシなヒロインのルートを選ぶしかないよな……)
どのヒロインのルートもキツいが、強いてマシなのを挙げろるとすれば、シエルルートか。この娘はいわゆる、ハーフの『金髪ドリルお嬢様』枠だ。主人公はなんやかんやでシエルちゃんの従者になって、彼女を望まない政略結婚から救い出すために死ぬ気で色んな訓練を受ける――的なやつである。このゲームでは一番グロくないルートだが、それでも途中にダース単位でちょっとミスれば死にそうな場面が出てくる。
(でもなあ、やっぱり気が進まないよ)
この世界の人間にゲームのプログラミングでない人格があるなら、好きでもないのに攻略するのは失礼だ。それに、あらかじめこちらが相手の心につけいる選択肢を知っているというのも卑怯な気がする。
なので、できれば、ゲームに出て来たヒロインたちとは深い関係にならずにいきたい。
なんとかならないものか……。ぶっちゃけ、ヒロインたちとの恋愛関係はどうでもいいのだ。世界を滅亡させる呪いさえなんとかできれば……。呪いを根本解決――は無理だ。発想を変えろ。俺のこの世界での寿命が尽きるまでどうにかできればいい。そう考えると――。
(待てよ……。呪いは全て、ヒロインたちのトラウマがトリガーになってる。ということは、そもそもトラウマの原因となる事件を発生させなければ――いけるんじゃないか?)
例えば、今、俺が蝉取りに行けば、ぷひ子がみかちゃんを殺してトラウマが完成してしまう。しかし、行かなければそれは起こらない。同様に、他のヒロインにもトラウマを得る分岐点があったはずだ。
ゲームでは、何人かのヒロインを除き、主人公とヒロインは青年期に初めて出会って攻略に至る。すなわち、主人公と出会った時点で、すでにヒロインたちは悩みを抱えてしまっており、呪いが発動してしまっている。
だが、ゲーム知識のある俺は、幼少期の今から、未来のヒロインたちの悩みを叩き潰すために動くことができる。
トラウマがなければ、ストーリーが始まらない。
ヒロインがトラウマになる前にその根本原因を潰せば、そもそも、攻略は不要なのだ!
(これだ。これしかない!)
俺は深く頷く。最悪、ゲームの文法にのっとってシエルルートに入るにしても、彼女と出会う青年期までにはまだ時間がある。今は、ガキの内に出来る限りあがいておくのも悪くない。
(では、ヒロインたちをトラウマから救うのに必要なものはなんだ?)
俺は脳内でヒロインたちの背景を思い出してみた。
ヒロインたちのトラウマや悩みは、大きく四タイプに分類される。すなわち、
1:お家の事情パターン
2:事故パターン
3:個人的な悩みパターン
4:もうトラウマちゃってるパターン
の三つだ。
1はいわゆる家庭の事情というやつだ。例えば、先述のシエルなら、血の繋がらない兄との関係性とか、他のヒロインなら、父親が浮気して家庭崩壊だの、傾いた家業を立て直すために支援者のスケベ権力者の下でメイドをしなきゃいけなくなるだの、そういった類のものである。
(このパターンは大抵、金か権力で解決できる)
家業を立て直すなら原資を融資してやればいいし、浮気云々は別れさせ屋でも雇って潰せばいい。シエルルートみたいな名家にちょっかいをかけるにはかなりの金と権力が要るが、理論上は不可能ではない……はず。
2はなんか突発的なアクシデントでトラウマを得るパターンだ。
こっちは1よりもさらに簡単だ。ぷひ子のルートもそうだが、事故の起こる年代は知ってるので、人を雇ってピンポイントでその事故を潰していけば問題ない。
3はそれぞれの内面の問題なので一番厄介だが、俺はそれぞれのヒロインが求めるものとゴールを知っているので、それとなく提示して、誘導してやればいいだろう。それをするのにも、やっぱり、ヒト・モノ・カネを動かす力が必要だ。
4は――
(もちろん、もう手遅れなヒロインも何人かいるが……。そいつらはこの村に入れないか、外に出すかすれば大丈夫だろう)
俺は今七歳だが、例えばヒロインを産むときに母親が死んだのがトラウマの原因とか言われても、もうヒロインが産まれていてはどうしようもない。ただし、そういうヒロインでも、ゲーム上で呪いが発動するのはこれから後――すなわち、ヒロインと主人公が接触し、二次的に何らかのイベントで過去のトラウマを刺激されてからのこととなる。それも、現段階では『ぬばたまの君』の呪いの効力が及ぶ範囲でトラウマ刺激イベントが発生しなければ問題ない。
具体的には、今俺がいる村の周り四方には御身石という鎮護石による結界が張ってあり、その結界の中でトラウマスイッチが入らなければセーフなはず。伝奇ホラーが、地縁的なものに大きく依存するジャンルで助かったね!
まあ、要するに、もうトラウマっちゃってる地雷ヒロインは避けまくって、この田舎の外に行って頂くということだ。4のパターンのヒロインは大して数も多くないし、その中にストーリーの根幹に関わる重要キャラはいないので、何とかなるだろう。
ということで、色々検討した結果、今後の方針は、
1:頑張って金を稼ぐ
2:金を足がかりにして、権力を得る
3:金と権力の力技で、ヒロインのトラウマが発生する前に徹底的に潰す。
ということになった。
(よしっ。これでいこう)
ギャルゲーの世界だからといって、ギャルゲーの手法で挑まなければいけない理由はない。ここから俺は、経営SLGを始めさせてもらう!
そんな決意と共に、釣りの準備を終える。
パジャマから半ズボンとTシャツというショタコンルックになった俺はぷひ子とみかちゃんと共に、堤防へ釣りに向かった。
うん。あれだけイキった決意を表明した割には、ばっちりギャルゲーしてるが気にしない。これはギャルゲーではなく、いわば得意先への接待だ。そういう意味では経営SLGともいえる。
俺は三人分の竿とクーラーボックスを持ち、みかちゃんは右手で日傘を持ち、左手をぷひ子とつないでいる。ぷひ子は、余った右手に、エロママンから持たされた昼飯と飲み物の入ったバスケットを持っていた。
「ねえ。ゆうくん。重くない? 私、竿を何本か持とうか?」
先行していたみかちゃんは、楚々とした仕草でこちらを振り向き、上半身を前に傾けて、俺の顔を覗き込んでくる。
ぷひ子を太陽とするなら、みかちゃんは数年に一度しか現れないスーパームーンのような美少女だった。かわいい系というよりは、切れ長の瞳をした美人系の顔立ちである。
白いワンピースと麦わら帽子を身につけ、黒髪ロングを自由に風に遊ばせている。
オタクの田舎に対する集団幻想を具現化したような彼女は、年齢的には主人公の一歳年上で、高校編ではお姉さん兼先輩キャラとして登場、溢れるママみを見せつけてくる。
現時点では俺より背の高いみかちゃんが前傾姿勢になると、色んなところでチラリズムが発生するが、俺はロリコンではないので全く興奮はしない。
ちなみに、みかちゃんのルートでは、この一見ノーガードで無防備そうな振る舞いは、実は主人公にだけわざと見せて計算ずくで誘惑していたというむっつりスケベ要素が明かされ、当時のオタクは大興奮したとかしないとか。そういえば、一時期くもソラのスレでは、『みかはかみ』とかいう謎の回文が延々とコピペされてたっけ。懐かしい。
「いや、大丈夫。俺、男だし」
俺はぶっきらぼうに答えた。
今なら性差別的役割分業だとSNSが炎上しかねない発言であるが、もちろん、これは俺の意見ではなく、主人公がこういう強がりを言うキャラだからである。実際、結構重い。俺は今七歳だし、そろそろ子どもの運動能力が飛躍的に伸びるゴールデンエイジっぽいから、トレーニングの計画を立てるか。
「そっかー。頑張れ男の子」
みかちゃんが悪戯っぽく微笑んで、お姉さんぶった口調でそう言うと、再び前を向く。
なお、彼女はくもソラの人気投票において、ぷひ子などは瞬殺でブチ抜いて、一位に君臨した。ビジュアルがいいだけでなく、CGの数もキャラクターグッズもぷひ子と同じくらい多く、声優も界隈で人気の人を使ってるからだろう。明らかに誰か偉い人が贔屓して(んほって)ませんか? というような優遇っぷりだが、主人公の初恋の相手であり、ぷひ子が嫉妬して殺すくらいの魅力的な美少女という設定なので、ある意味キャラ付けとしては正しいのだろうか。
正直、俺は嗜好がマイナー厨なので、ぷひ子よりは好きなキャラだが、それほど惹かれるというタイプでもない。
あっ、ちなみにぷひ子は今、めちゃくちゃダサいオーバーオールを着ている。興味ないけど。
そうこうしている内に釣り場に到着した。
堤防のコンクリートの地面に、ぷひ子、俺、みかちゃんの順に腰かける。
両手に花狙い?
いいえ。フラグ管理です。ぷひ子、みかちゃん、俺の席順だと、ぷひ子の嫉妬ゲージが上昇し、何かの拍子にぷひ子がみかちゃんをぶっ殺しそうで怖い。逆にみかちゃん、ぷひ子、俺の順だと、ただでさえ無駄に上がりやすいぷひ子の好感度ゲージを不用意にカンストしてしまう可能性がある。従ってどちらつかずのこのポジションがベスト。
なお、蝉取りフラグを回収しない状態(みかちゃん生存状態)で、中途半端に納豆女の好感度を上げてぷひ子ルートに突入すると、トゥルーエンドの条件を満たしている時以外は自動的にバッドエンド確定なので気をつけなければいけない。
この歩く地雷ぷひぷひ女め。
あ、なお、リアル事故フラグ回避のために、ばっちりライフジャケットも完備してます。
そんなこんなで様々な配慮をしつつ、俺は初心者用のサビキ釣りの竿を、適当に準備した。
「お魚さん、いっぱい釣るー。釣って、ぎょしょー作るー。納豆にかけて食べるのー」
ぷひ子がそう意気込んで、釣り糸を水面に垂らす。
魚醤か。納豆に限らず、ぷひ子は発酵食品全般を愛しているらしい。
(まあ、実は納豆は重要アイテムだからな)
納豆好きは完全ネタ設定に見えるが、一応、主人公とぷひ子が初めて出会った時にぷひ子が腹を空かせており、主人公がたまたま冷蔵庫にあった納豆と余りものの冷や飯を食わせてやったということに端を発している。つまり、ぷひ子は主人公から初めてもらったプレゼントが納豆なので納豆好きな訳だ。だが、そんなの関係ねえ。俺は納豆が嫌いなんだ。すまんな。
「俺はチャーハンかな」
「じゃあ、納豆チャーハン!」
「カレーの隠し味にしてもおいしいらしいわね」
「へえー。蕎麦屋のカレーは美味いみたいな?」
「うーん、どうかしら」
「納豆とろろそばー」
「夏バテ防止にはいいかもな」
二人の内どっちかだけに会話の比重が偏らないように気をつけながら、他愛もない会話を進める。だったら壁に向かって話してろよ、と某にわか雨師匠のようなことを叫びたい気分だ。
ほんとリアルギャルゲーは、細かいところに気を遣うのがめんどくさい。
ゲーム上では読み終わるのに数分もかからないあっさり流されてしまうイベントだが、現実では数時間なので、変なフラグを立てないように気を遣いながら接するのは疲れる。いっそのことヒロインたちとの接触を断ちたいが、もちろん、それはできない。ヒロインたちを攻略しないといっても、最低限、『友人』ぐらいの関係性にはなっておかないと、いざ何かトラブルがあった時に絡みづらいからだ。
だって、いきなり見ず知らずの人間が「お金をあげます」、「援助してあげます」とか言って近寄ってきても警戒するよね?
まあ、とはいえ、限られた時間の中、一人で全ヒロインと濃いつながりを持つのは難しいので、いずれは取捨選択とアウトソーシングしていかなければいけないことは分かってる。
でも、この二人に関しては、粗略に扱えない。ぷひ子はくもソラという物語においてはメインヒロインなので当然。実はみかちゃんは彼女本人の攻略ヒロインとしてのストーリーは薄い方なのだが、舞台装置として非常に重要な役割を果たしているので雑に扱えないという事情がある。みかちゃん生存ルートの場合、彼女は青年期編で生徒会長を務めて広く交友関係を持つ存在となるのだ。メタ的にいえば、『生徒会の仕事を手伝って』とかなんとか、みかちゃん経由で主人公に他のヒロインとの出会いの場、もといフラグを立てるイベントがたくさんある。
要するに、みかちゃんと仲良くしておかないと、将来的に彼女と親密な関係になるヒロインとの接触機会が消滅するので、現段階で悪印象を持たれる訳にはいかないのだ。今後の活動にも影響するからね。全く、ギャルゲーの――特に田舎の人間関係は、狭くて芋づる式なのだ。めんどくせえ。
めんどくさいついでに、ここでは今後のために絶対回収しておかなければいけないブツがある。
「ぷ、ぷややー! ゆ、ゆーくん! なんかきたー! すごいきたー! て、手伝ってー!」
ぷひ子の持った竿が大きくしなる。
ぷひ子は狼狽して、俺に助けを求めた。
「なに!? わかった! みか姉! タモ持ってきて!」
俺はそう叫びならがら、二人羽織のような格好で、ぷひ子の持った竿を後ろから掴む。
「うん!」
みかちゃんが獲物を受け止めるタモを取りに走る。
しばらくの格闘の後、それは水面の下にゆらりと影を覗かせた。
「よし! 一気に釣り上げるぞ!」
「ぷひひ、頑張る!」
ぷひ子とタイミングを合わせて、一気に竿を上げる。
「ぴょええええええええええええええ!」
篠笛にも似た奇声を上げて姿を現した獲物は、一匹の黒い兎だった。
その外見は一言で言うなら、不思議の国のアリスに出てくる兎の和風バージョンだ。
漢数字の文字盤の懐中時計をつけ、祭りの法被を着こんで、二足歩行が可能なやつである。
「わ、わ、わ!」
「え、え、え!?」
突如出現したファンタジー生物に、ぷひ子は竿を取り落とし、みかちゃんはタモを手放した。
ゲーム上ではあくまで今回はこのクロウサのお披露目シーンに過ぎず、『主人公も二人と一緒にびっくりして、突如現れたこの謎の生物が逃げていくのを呆然と見送る』というのが正規ストーリーだが――
(逃がさねーぞ! 便利アイテムがコラ!)
俺は半ズボンの鰐皮のベルトを外し、クロウサを一瞬で縛り上げる。
「ぴょええええええ! ぴょ、ぴょ、ぴょぴょぴょ……」
威勢のよかったクロウサは、ベルトを見た途端大人しくなり、素直にお縄についた。
(よし。やっぱり、鰐皮アイテムは有効か)
こいつはもちろん、普通のウサギではない。鰐製以外の紐や縄で捕まえようとしても、容易く逃げられてしまう。なんせ、こいつは時間や空間を飛び越える能力を持った通称『時空兎』だ。大抵の物理攻撃なんぞ無効化してくる。
ちなみになんで鰐皮が効くかというと、実はこいつは神話の闇に葬られた因幡の『黒』兎だからである。こいつはかつて白兎と同様の働きをしたが、白兎に騙されて救済を得られなかったという悲しき過去を持っていて、鰐が苦手という設定だが、今は特に覚える必要はない。
今、大切なのはこのギャルゲーにありがちな謎生物は、実はこのゲームのシリーズ通して登場する重要なマスコットキャラクターである、ということだ。主人公が過去や未来、もしくは遠距離ワープする必要がある時に、現金や寿命など、代償に応じて願いを叶えてくれる。
通称『時空兎』といい、タイムトリップや瞬間移動をする能力を持ったチートな兎である。こいつを今確保しとけば、色々役に立つことは間違いない。
「『苦蓬宙海渡大命』にかしこみかしこみ申す。我、古の盟約に依りて、汝を求む」
俺は近くにいる二人には聞こえないような小声で、クロウサの耳元で囁いた。
「ぴょ、ぴょいぴょい」
クロウサがコクコクと頷く。
はい。真名で縛って、契約完了ー。たっぷり働いてもらうからな。
ちなみにこいつの真名を探り当てるのがグッドエンドの条件になっていた、ロリババアルート、俺は結構好きだったよ。
「え、えっと、ゆうくん。その兎さん、捕まえてどうするの?」
「もちろん飼うんだよ。ちょうどペットが欲しかったんだ」
「いいなー。うさぎさん、いいなー。ねえ。ゆうくん。撫でていい?」
「いいけど、調子乗って噛まれるなよ」
「はーい。あ、兎さん、納豆巻きあるよ。食べる?」
クロウサは鼻先に近づけられた納豆巻きを、その長いロップイヤーを鞭のようにしならせて弾いた。
そりゃ食わないよ。このチート兎、兎のくせに肉食だからね。
なお、ぷひ子ルートでは、ぷひ子が主人公を敵の魔の手から逃がすために、自ら首を掻っ捌いて、全身の血をこの兎に捧げて、主人公を時空飛ばしするシーンがある。グロいぜ。
こうして便利アイテムをゲットした俺は、しばらく日常パートをこなした後、晩メシのおかずのアジと共に、家に帰り着いた。
「つー、訳でだ。兎。俺はしばらく、過去や未来に飛ぶつもりはない。さしあたっては、ワープ機能を使えれば十分だ。そこで、相談なんだが、代償は金でもいいのか?」
俺はクロウサに生のアジをグチャボリと餌やりしながら語り掛けた。
過去や未来にタイムスリップするのは、この世の理を捻じ曲げる荒業のため、当然代償も大きい。記憶やら、そいつが一番大切にしている物やら、エグい要求をしてくる。だが、時間軸をいじらない場所の瞬間ワープは、比較的代償が緩い。作中では、頭痛とか吐き気程度でもワープさせてくれていた。
「ぴょい」
時空兎は口から血を滴らせながら頷く。
「おっ。マジか。例えば、東京大阪間を一瞬でワープするならどれくらい?」
「ぴょい」
クロウサがどこからともなくソロバンを取り出して弾き、俺へと提示してきた。
ふむふむ。大体、飛行機の十倍くらいの感覚か。
「なるほど。そんなもんか。ちなみにタイムスリップはいくら? 例えば、一年前へいくとして」
「ぴょい」
「おほっ」
思わず変な声が出た。うわっ。やばい。単純な場所のワープとは全然桁が違う。
「これが……十年前なら?」
「ぴょぴょい」
「――マジで? 単純に十倍じゃなくて指数関数的に増えてんじゃん」
俺は目ん玉が飛び出てループザループをかましそうな額に、声を震わせた。宝くじに当たっても普通に無理なやつじゃん、これ。やっぱり、当分、タイムスリップは無理だわ。
「ぴょい」
時空兎は、『当然だ』とでも言わんばかりに頷いた。
「サンキュー。参考になったぜ。やっぱり金を稼がなきゃ始まらないよな。金ができたら、今度お礼に好きな肉食わせてやるよ。何がいい?」
「ぴょい。ぴょぴょぴょい」
時空兎は器用にパソコンのデスクに飛び乗ると、器用にキーボードを叩き始めた。えーっと、なになに。『ワニ肉のヒレステーキ』?
やっぱり、めちゃくちゃ鰐恨んでますやん。
やがてクロウサへの餌やりも終わり、ぷひ子ママが持ってきてくれたおかずとご飯で簡単な夕食を済ませた俺は、パソコンのクソデカモニター君と向き合っていた。
(やっぱりだ。完全に元の世界の経済状況と連動している! ヤッター! これ勝ち確ぞ!)
ネットで最近の経済指標やら株や為替のチャートやらを調べ尽くした俺は、一人ガッツポーズする。元の世界で証券会社に勤め、かつ瞬間記憶能力を有する俺は、取引が電子化されて以降のデータが全てこの頭に入っている。そのデータと照合したが、元の世界とこの世界の経済状況のデータはほぼ完全に近い状態で一致していた。
(やっぱり、作中に明記されていない事柄は一般常識に従う、という認識でいいんだろうな)
当たり前だが、ライターだって、くもソラで出てくる以外の場所や状況――例えば、作中に出てこないウォール街の動向まで事細かに設定してあるはずもない。
くもソラが『ニ〇〇〇年代初頭の日本』という設定である以上、描写がない部分はそれに従うということか。
(さて。これでマネーゲームでガッポガッポ稼ぐという方針が決定したのだが……)
ここで問題となるのは、俺がしがない七歳児であり、まともに証券取引なんてできる口座も種銭も持っていないことだ。
こういう時頼りになるのは? そう。もちろん、血の繋がったマイペアレンツだよね。少なくとも、家は貧乏ではない。一人で住むには広すぎる一軒家を維持し、ぷひ子ファミリーに俺の世話代を配るくらいの余裕がある。その一部をかわいい息子=俺に分け与えてもらってもバチはあたらないはずだ。まあ、普通の親なら小二に大金を預けたりはしないけど、ギャルゲー親は未成年の主人公を一人暮らしで放置して育児放棄したり、時には近親相姦も許容しちゃったりして、常識がぶっ壊れてるなんて日常茶飯事だしね。原作本編で金を持ってることが明らかな以上、これを利用しない手はない。
ということで、早速、パパンに電話だ!
「……なんだ」
ぶっきらぼうな声が電話に出た。あんまり連絡が取れない設定の父親につながるなんて、俺はついているのかもしれない。
「親父。金がいる」
俺は単刀直入にそう言った。それが主人公のキャラなので。
「……お前の教育資金の口座。資料庫、アステカのD-4のファイルだ。2000万ある。もし使い果たしても補充はしない。それでもいいなら、好きに使え」
はい、二千万円ゲットー!
一人の子どもを大学までやる教育費の平均は一千万くらいだから、よく貯めてる方だよね。
「ありがとう。親父。あっ、それから、発掘で出てきたエジプトの女王のミイラをこっちに送るのは絶対やめてね。すげーめんどくさいことになりそうな予感がするから。あと、今、親父が調べてる墓はエジプト文明のやつじゃなくて、『アブラハムの宗教』系統だから。そして、日ユ同祖論はガチ。死海文書とヴィオニッチ手稿の方からあたってみるといいと思う」
「なに? それはどういう――」
俺はむっちゃ早口でそう言った後、パパンのセリフを最後まで聞かずに電話を切った。
とりあえずこれで親父関連のフラグは牽制できたかな。放っておくと、ミイラ系ヒロインが航空便で送られてくるけど、ミイラは復活しなければただの屍だ! 返事は一生するな!
なお、このルートでは攻略を完了するまでに、ミイラから即身仏まで、あらゆる干物の作り方を実践的に学べるゾ!
(さて。2000万は大金といえば、大金だが、まだ足りない)
俺の工作にはとにかく金がいる。二千万の種銭では心もとない。なんせ、俺が求めるのは老後の安心ではなく、世界の救済だからだ。
(ふふふ、問題ない。子どもは、父親だけじゃ作れないのだ。つーか、こっちが本命ね、つーか、早くしないと受付時間が終わっちまう)
俺はそんなことを考えながら、再び家電の受話器を取った。
「はい。海神学園事務局です。ご用件を承ります」
数コールの後に、そう応答があった。
「理事長をお願いします」
「失礼ですが、お名前を頂戴してもよろしいでしょうか」
「成瀬祐樹と申します。理事長にお取り次ぎ願えますでしょうか」
「申し訳ありませんが、理事長へのアポイントは広報を通して――」
「俺は理事長の――櫛枝京子の息子です。母に、『まだあのオルゴールは持っている』とお伝えください」
「……。少々お待ちください」
受話器から、クラシックの待機音が流れ出す。
待っている間に解説しよう!
俺のママンこと、櫛枝京子は、くもソラの続編にあたる『淀みなき蒼海の中で』の舞台となる海神学園のワンマン理事長である。海神学園は、外界と隔絶された絶海の孤島に存在し、表向き普通の全寮制中高一貫校を装っているが、その正体は、世界に暗躍する優秀なエージェントを養成する秘密機関だ。通称『スキュラ』。まあ、よくあるアレっすね。
俺のママンは続編においては、ルートによって、敵になったり、味方になったりするが、基本的にはぬばたまの君の呪いを兵器転用しようとするヤベー奴だと認識してもらって差し支えない。まあ、主人公の親の倫理観って大体ぶっ壊れてるからね。ギャルゲーにはよくあること。
「大変お待たせ致しました。理事長におつなぎいたします」
再び事務の人の声。
「ありがとうございます」
一瞬電話が切れ、また繋がる。
「――何の用ですか」
氷柱のような硬く冷たい声が、俺を刺す。
でも大丈夫。ママンはツンデレだって、俺知ってるからね。
呪いの兵器転用も、元は生まれつき病弱で死にかけてた俺を救うための研究が発端だから。
あ、そういうフラグがあるので、主人公は頑張って修行すれば短期間でむっちゃ強くなれる素質があったりする訳。呪いって便利ー。
「久しぶりだね、母さん。元気?」
パパンは親父だけど、ママンはおふくろ呼びじゃないんだよね。まあ、ちょっと疎遠になって距離がある設定ですからね。
「前置きはいりません。用件を述べなさい」
「助けたい女の子がいるんだ。そのためにお金がいる」
あっ、ちなみにこれ、みかちゃんのことなので嘘じゃないです。
「――事情は分かりませんが、私があなたの遺伝学上の母親であることは事実です。ですが、すでにあなたの父親経由で一般的に必要とされる額は与えたはずです」
おっ、つまり、少なくともさっきの2000万のうちの半分は、ママンの金ってことすか?
ですよね。発掘ばっかしてるパパンがそんな金もってる訳なさそうだし。
「それはなんとなく知ってたよ。でも、母さんはもっと自由にできるお金を持ってるはずだ。それを『貸して』欲しい」
ちょうだいじゃ、だめなんだ。ママンは他人に依存するような軟弱人間は大嫌いだからね。
「……『貸して』ときましたか。わかっていますか? 私はあなたが息子でも、子どもでも、容赦はしません。貸した額は必ず取り立てます。それがこの世界のルールです」
「それでいいよ。ありがとう。母さん。で、いくら貸してくれる? あ、あと、自由に商取引できる闇口座もセットでお願い。もちろん、マージンは払うよ。母さんの学園はそういうサービスもやってるよね?」
「――あの男から聞いたのですか? まあ、いいでしょう。全てのオプション料金は、一円たりともまけません。利息もきっちり取ります。本来なら、信用のない人間に金を貸すなどありえませんが、私が親としての金銭面以外の責任を放棄した償いに、特別に貸して差し上げます。ですが、これが最後です。今後、私はあなたに相応の代償なしには、一切の便宜を図ることはありません。それだけは承知しておいてください」
「全部、わかってる。わかった上で言わせて。ありがとう母さん」
多分、ママンは俺が本当に稼げるとは思っていないだろう。借金漬けにしたら、合法的に俺の身柄を確保して手元に置けるからという理由で金を出したに違いない。
「……今夜中に、エージェントを使って必要な物は届けさせます」
「わかった。一応、言っておくけど、楓を使うのはやめてね。ビジネスに公私混同はなしっていうのが、母さんのポリシーでしょ」
一応、釘を刺しておく。これやっとかないと、密かに息子を置いて家を出たことに罪悪感を抱いているママンが、関係改善を狙って、俺の動向を調査するために、種違いの妹を俺の所に送りこんできやがる可能性があるからね。こいつが多重人格系のヤンデレヒロインでとにかくタルい。ほんとくもソラは攻略対象ヒロインが多すぎだよ。
「――幸か不幸か、確かにあなたには私の血が流れているみたいですね」
ママンは、呆れとも、感心ともとれるような口調でそう言い残して、通話を切った。
(さあて、ママンはいくら貸してくれるのでしょうか!)
俺はわくわくしながら、密使がデリバリーされてくるのを待つ。
すると、本当に日をまたぐ前に、某探偵マンガの黒タイツさんみたいな人がやってきて、必要な書類やら口座やらを置いていった。通帳に書かれていた額にはさすがにビビったね。
俺が前世で、証券会社の仕事で動かしていたくらいの金額だ。ポケットマネー感覚でこれを出せるって、ママンは相当あくどいことして儲けてますね、これ。知ってたけど。
早速、ママンのオプションサービスを使って、いくつかの証券口座を開く。普通は口座開設までいくらか日にちがかかるものだが、ママンパワーによって速攻だ。
取引環境さえ整備してしまえば、後はこっちのもの。あらかじめ答えがわかってるテストだ。
知ってますか、奥さん? この時代はレバレッジの規制もゆるゆるでしてよ。
もちろん、悪徳業者も横行しているが、まあ、そこらへんの知識はありますんで、余裕っす。
つーことで、俺は夏休み中、幼馴染たちのフラグを適当に捌きながら、暇を見てはお金をころころ転がして、夏休みが終わる前に、あっという間に元本返済、手元資金を確保しました。うほほいほい!
「……まさか、本当に返済するとは。しかもこの短期間で。一体どんな魔法を使ったんですか」
「魔法も奇跡もないって、母さんが一番よく知ってるだろ? でも、そうだな。もしかしたら、母さんが仕込んでくれた『ギフト』のおかげかもね」
俺は意味深で思わせぶりな口調で呟いた。
とりあえず困ったら呪いのせいにしておけばいいという風潮。
「……まあ、いいでしょう。仕事は結果です。過程は問いません」
「うん。あと、俺に関する情報の秘匿もよろしくね」
「受け取った報酬分の仕事はします。それがエージェントというものです」
さすがはママン、話がわっかるゥー。
この金稼ぎ能力に目をつけられて、拉致られる可能性は怖いが、俺はママンが全力で俺を守ってくれると信じてるぜ! 血は水よりも濃いぜ!
ありがとうママン。利用してごめん、ママン。ちゃんと利益は還元するから! あと、母の日にカーネーションも贈るから!
「よろしく。あと、例の融資の方もお願いします」
「……構いませんが、あのようなくだらない中小企業を支援して、あなたに何の得があるんですか。何の将来性もなく、投資する価値を見出せませんが」
「だから言ったでしょ。助けたい女の子がいるって。それだけさ。あ、くれぐれも、みかちゃんには支援者が俺だってことがバレないようにね」
今、ママンにボロクソ言われてる中小企業とは、ずばり、みかちゃんのご両親が経営する企業のことである。
みかちゃんは放っておくと、青春編で、親の事業失敗の結果、地元の裏稼業で稼いでる権力者のおっさんの愛人にされそうになります。
このルートで、俺はみかちゃんを救い出すため、そのおっさんの対抗勢力である反社会的勢力の一員となって任侠の道を極めて、ドラゴンタイプにクラスチェンジしなくちゃいけなくなります。チクチクイキり刺青標準装備なんて絶対に嫌です。身体髪膚傷つけぬは五孝の始めなりって偉い人もゆってるしー。
そもそも、暴対法ができてからのヤクザの構成員なんてやってもいいことないよ。あ、でも、誰が何と言おうとファン〇ムシリーズは名作。異論は認めない。
ともかく、みかちゃんがおっさんにちょっかいかけられて変なストレスを負って呪いが発動しないように、あらかじめご両親の経営する企業を救い、トラブルを未然に防がなければならないという訳だ。
俺が彼女を助けたことを隠すのは、もちろん、余計なフラグが立つことを避けるためである。俺の目標を達成するには、好感度は上げすぎてもいけない。
「そうですか。まあ、あなたの金です。好きにしなさい」
「うん。だから、あっちの用地買収もよろしくね?」
「そちらは簡単です。あのような田舎の神社と山を買って、こちらもあなたに何の得があるかはわかりませんが、まあ、運がよければダム用地として値上がりするかもしれませんね」
うん。ちなみにそういうルートもあるからね。ダム建設を巡って、仲の良かった田舎町が、ダム建設賛成派と反対派でギスギスになってく描写、結構おもしろかった。
っていうか、ママン。実は、あなたが求めて止まないスーパーパワーの源、そこにあるんですよ? でも、Myママンは完全に科学サイドの人間なので、呪いとかいう非科学的な現象は認めないのだ。呪いに付随する現象は、『とある田舎町の女子にだけ発現する遺伝的特性』として捉えているんです。なお、その本来女子にしか発現しない特殊な遺伝的なアレを注入された唯一の男、それがこの俺こと、主人公です。無論、くもソラは伝奇ホラーメインなので、このSFチックな設定は、何人かのサブヒロインのルートで仄めかされる程度に留まっている。続編への仄めかしってやつだね。
そう。この事実からもわかる通り、くもソラの続編の『ヨドうみ』はSFテイストなんですね。そして、シリーズ完結の三作目は――、いまは関係ないか。
ともかく、これでみかちゃんがキモ親父にセクハラされることはなくなったよ。家族は守るよ、やったね、みかちゃん! かくいう俺も、彼女の正規ルートみたいに自分を命の危機に追い込んでチート遺伝子を覚醒させるために、指スッパンしたり、切腹し(三島ら)なくてもよくなった! イぇい!
こうして金を手に入れた俺が真っ先にすべきことはといえば? ――そう。諸悪の根源の封印だよね! ガチ解呪にはトゥルールート以外ないから、応急処置にしろ、ご神体が安置された忘れられし拝殿を封鎖するのが次善策なんだ。
神社の土地は宗教法人ごと買収済み! ママン経由で口の固い土建屋を割増賃金で手配済み! 変なフラグを立てそうなぷひ子とみかちゃんたちは車で二時間以上かかるイ〇ンモールへのお出かけを確認済みだ。ぷひ子も「ジャ〇コ行くの!?」とぷひぷひ喜んでいたぜ! これぞ、田舎民が土日に近くのショッピングモールに群れる習性を利用した孔明の罠だ!
「条件は整った! ――行くぜ! 兎! 今夜は鰐鍋だ!」
「ぴょん!」
炎天下、俺はリュックサックを背負い、クロウサを肩に乗せ、蝉がよく取れる例の森に行く。
作業員のムキムキマッチョなお兄さんたちは、時間ぴったりに全員集合していた。
「皆さん、今日は工事の方、よろしくお願いしまーす。環境破壊とか全然気にしなくていいんで、ガンガンやっちゃってください」
「……」
マッチョメンたちが無言で頭を下げて頷いた。さすがママン手配の土建屋だけあって、無駄なことは一切喋らない仕事人だぜ!
あ、なお、俺の肩に乗っかったこの時空兎は、大なり小なりぬばたまの君の呪いを受け継いでいる奴にしか見えない。つまり、この頼れる工事GUYsたちには見えてないから安心だよ!
チュイイイイイーン! っと唸るチェーンソー!
ガガガガガガガガガガガガガ!っと爆走するショベルカー!
樹齢云百年の大木たちが、成す術なくなぎ倒されていく。
それと一緒に、とある勝ち気系なヒロインとのフラグも折れていく。祖父母の家に帰省した小学生の彼女と主人公は、この夏休み、森で虫取りをする途中に出会って急速に仲良くなり、高校時代に再会して、『お前、男だと思ってたのに、実は女だったのか』パターンのやつだ。
(バイバイ、俺っ娘くん。君のルートは、いたいけな青少年プレイヤーに、主にインセクツ関連の特殊性癖を植え付ける、とっても業が深いストーリーだったね)
はい、合掌! バッタ人間やらカマキリ人間やらは仮面〇イダーだけで十分だ! ハリガネムシ系はひ〇らしのパクリって言われるからやめとけばよかったのに!
こうして俺が悲しいお別れを済ませている内に、有能なマッチョメンたちによって、例のうらぶれた社への道が開かれた。
ここまで来ると、そろそろあいつが――、お、いたいた!
「……お主、男なのにわらわが見えるのか。――って、なんじゃ! この騒がしい鉄の塊共は」
崩れかけの鳥居の上に腰かけていたロリババアが俺を睥睨し、驚いたように叫ぶ。
待ってたぜ! ロリババア! 今楽にしてやるからな。
「こんにちはー! 突然ですが朗報です! あなたが愛した男は、実はあなたを裏切ってません! あなたを愛し、守るために、最後まで戦い抜きました! これがその証拠です!」
俺は工事音に負けない声で叫んで、既に回収していたストーリー上のキーアイテムをのじゃロリに向かって投げつけた。具体的には、兜とか、思い出のかんざしとか、ほら、まあ、よくある戦国時代の悲劇ってやつですよ!
「そ、そんな。砂王丸、わらわは――」
ロリババアが万感の想いがこもった涙を流し始める。感動的なシーンだね。
でも、すまん。余韻に浸ってる時間はないんだわ。ぷひ子たちが帰ってくる前に工事を終わらせないと、変なフラグが立って凶事が発生しかねない。
「咲夜姫、砂王丸さんが待ってます。あるべき場所に帰りましょう」
「じゃが、妾は兎の呪いにしばられて、この社を守らねば――」
「その兎はここにいます! 真名も解明済みなので、もう縛りはなしです! だから、安心して逝ってください! な、兎」
「ぴょぴょーい!」
時空兎がぴょんぴょん跳ねる。
ロリババアの魂を過去に送る代償? そんなもんはいらない。ロリババアはそもそもその存在自体がこの世の理を歪めてしまっているイレギュラーな存在だからね。むしろ、彼女をあるべき場所に戻してやるんだから、俺が報酬をもらってもいいくらいだ。
ほら、その証拠に時空兎もやる気まんまんだ!
「よ、よいのか? 数百年の間、何をやっても解けなかった呪いが、こうもあっさりと……」
「いいじゃないですか。突然降りかかってくる不幸があるなら、突然訪れる幸福もあったって」
俺は脊髄反射で適当にでまかせを述べる。
兎が手をかざして時空送りの呪文の呟きはじめる。
「そうじゃな……。そうかもしれぬ……。ああ、ようやく、わらわも永劫の苦しみから解き放たれるのじゃな……。何奴か知らぬが、礼を言おう。残穢に苦しむ者があらば、これを使うと良い」
ロリババアの姿が光り輝き、段々と透明になっていく。ついでに、戦利品として、強力な浄化アイテム、ロリババアの護符を手に入れたぞ!
「ありがとうございます。それにお礼の言葉なんて必要ないですよ。だって、砂王丸さんは俺の前世の一つっすからね!」
俺は彼女に、親指をサムズアップして応えた。
さすがは伝奇もの。俺の前世は名作絵本の猫並にいっぱいあるぜ! 100万回泣いたねこれ。
「な! それはどういう――」
目を見開いて疑問を呈そうとしてきたロリババアだったが、もう遅い! タイムアップで過去に流されていった。はい、合掌パート2!
(ふう。これでようやく、社に手が出せるな)
俺は一呼吸置いて、禍々しいオーラを放つ拝殿に向き合った。
「はーい! コンクリミキサー車さん、一丁、クレーン車さん一丁、入りまーす!」
古の時代から続く拝殿の敷地に、現代文明が土足で踏み込むぜ。
「石櫃できてます? おっけー。ここらは、危ないので俺がやりますね」
クレーン車によって、プルトニウムをぶち込んでも大丈夫そうな分厚い直方体のコンクリートの棺が、拝殿の前にズンッっと降ろされる。俺は、拝殿の奥から、例の呪いの鏡が入った箱を持ち出してきて、その石櫃の中に安置した。
あっ、もちろん、言うまでもないけど、呪いの鏡を物理破壊しようもんなら、呪いがあふれ出して世界が終了します。っていうか、今俺がやってるみたいに箱越しに触るだけでも、結構やばいからね。ぬばたまの君の呪いに耐性のない一般人が触れたら普通に頭おかしくなるやつやで。
「はい。準備おっけーです! では、じゃんじゃん、コンクリ流し込んじゃってください!」
ミキサー車がドロドロで灰色の液体を石櫃に流し込んでいく。
臭い物には蓋をしろ! フラグの塊は完全封鎖だ!
『絡み合う六本指。髑髏の塔。逆子のかごめかごめ。贄月――』
あれれー? 幻聴が聞こえてきたぞー? これはラスボスちゃまかな? なんか不気味なこと言って脅してくるけど、俺は全部の真相を知ってるから何も怖くないよ? んー、負け犬の遠吠え気持ぢいいー!
「では、次はちょっちゅ社を再建してあげましょうねー」
俺は沖縄方言風にそう宣言した。
俺だって鬼ではない。鞭だけではなく、飴も与えてやるナイスガイな一面もある。長年忘れされた社を新築してあげよう!
ただし、四方も床も天井も、何重にもコンクリと鉄扉で囲んで、入り口も出口もない完全密室だがな! もし中で殺人が起きたら探偵がユニバーサルペコペコの舞で喜ぶくらいの密室だ! もしくは、開ける方法の存在しない金庫と言い換えてもいい。
これが完成すれば、ラスボスがヒロインを操って、夢遊病ナビで拝殿へ召喚し、ご神体を強制解放しようとしても何の問題もない。素手やスコップではコンクリは破壊できないからな。よかったね。和風ホラーは物理攻撃弱めで。これが西洋のムチャするクリーチャーだったら危なかったよ。
ポロロロロロン。ボロロロロロロロロ!
『あなたを産んだことが、私の人生で一番の汚点です』
壊れて不協和音を奏でるオルゴールの音色。よぎる若きママンの幻影。
おっ、今度は幻聴と幻覚のコンボだ。主人公のトラウマをえぐる的な精神攻撃ですか。でも、それ、主人公くんのトラウマであって、俺のじゃねーから。ちなみに俺のトラウマは、30連勤で自律神経がお逝きになって、電車の中でうんこ漏らしたことです、ばーか!
『……』
あっ。とうとう万策尽きて、ぬばたまの君(しんわのすがた)が出て来た。
ラスボスとはいえ、トゥルーエンドのヒロインだけあって、見てくれはかなり気合が入っている。
容姿は一言で表現するなら、雪女系だね。全身真っ白。
なぜ白いのにぬばたまの君って名前がついたのかって? それは、このクロウサを騙したシロウサとの逸話が絡んでくるよ! その先は君自身の目で確かめてみよう(ファ〇通感)。
俺は完全無視を決め込んで工事の進捗を見守る。
その内、いやがらせを止め、もはや何も言わず、恨めしげにじっとこちらを見てくるぬばたまの君。時折白目剥いたり、歯をガチガチしてるけど、気にしない気にしない。
つーか、めっちゃ怒ってるじゃん。ウケる! でも、大丈夫。本体ならやばいけど、このご神体の鏡は、ハ〇ポタで言う所のお辞儀兄貴の分霊箱だから。
大体、こんなプレッシャー、リーマンショックがあったのに前年比以上のノルマを詰めてきたクソ上司の圧に比べれば屁でもないわ! 元社畜を舐めるな!
はー、早く終わらねーかな。でも、俺がここでご神体から漏れ出る呪いへのメイン盾になっておかないと、ホラー定番のアレで事故が起こりまくって、工事が進まなくなる。
あー、みみずばれめっちゃ出て来た。痛えー。腹とかはパックリ割れて、聖痕とか浮き出てきてるし。つーか、古代の甲骨文字とか読めないからね? どうせなら絵文字とかにしてくれてもいいんだよ。
優秀なマッチョメンたちが、朝から日が暮れるまで作業して、工事は完了した。
別に人が住むわけでもない、ぶっちゃけていえば、大きなゴミ箱を作るだけなので、住居のような手間はかからない。
「皆様、お疲れ様でした。では、報酬はスイス銀行の方へたんまりと」
実際はスイス銀行か知らんけど、適当言ってみた。パーフェクトな仕事をしてくれた彼らに、頭を下げる。
マッチョメンたちは、ノリよく上腕二頭筋に力こぶを作って応じてくれた。
(よしっ。後は、ロリババアの置き土産にヘイトを移して、と)
俺はさっきもらったばかりの護符を身体の至る所にできた傷口に押し当てる。
最初は白かったのに、どんどん黒く汚れていく護符。治っていく俺の身体。最後には、呪いと祓いの祈りが相殺されて、護符もはじけて消える。
それに伴って、俺の五感を苛んできた、幻聴や幻影も消えた。
サンキューロリババア。
「ふうー。めっちゃ働いたー。帰るぞ兎! 鰐食おうぜ! 鰐!」
「ぴょん!」
クロウサと一緒に、家路を急ぐ。
無論、ぬばたまの君の呪いはむっちゃ強いから、この程度で全てのフラグを折れる訳ではない。
だけど、ぬばたまの姫巫女としての素質がない=呪いの血が濃くないサブヒロインたちのストーリーでは、拝殿との物理的接触がトリガーとなって、イベントが発生することがままある。つまり、拝殿はぷひ子と同じくらいの地雷原なのだ。そんな拝殿に起因する様々なアクシデントの発生を未然に防ぐためには、やっておいて損はない作業だという訳である。
あ、もちろん、ぷひ子とかメイン級のキャラは、ぬばたまの君との関係性が鬼強いので、この程度の対策じゃ意味ないっす。夢やら予知夢やら白昼夢やら、バリバリ精神干渉されて闇墜ちすることもあるので、まだまだ全然気が抜けない。
まあ、そんな事情は置いておいて、今日のところは、俺の計画が一歩前進したことを喜ぼう。
「イェーい」
俺は気分を切り替えて、家でクロウサと祝杯を上げる。
飲み物は子供らしくジュースで、肴は約束通りお取り寄せした鰐鍋と、ぷひ子ママが差し入れてくれたカレーだ。
「どうだ? 美味いか?」
「ぴゅい」
鰐肉を生でヌチャヌチャしゃぶりながら、クロウサが頷く。
「そうか。美味いか……。明日の晩飯はどうしようかな。毎日ぷひ子ママ飯食べてると好感度を積み過ぎちゃうからよ」
「ぴょい?」
クロウサが小首を傾げる。
「まあ、わからねえよな。もし、お前が人化してればもっと話し甲斐もあっただろうけどなー」
「ぴょいー」
クロウサが適当に相槌を打つ。あっ、こいつ、俺との絡みをめんどくさがってやがる。
ちなみに、クロウサは最終的に人化するが、それはトゥルーエンドルートの攻略途中での話。残念ながら、ぬばたまの君を触らぬ神に祟りなしモードで放置すると決めた俺の人生では、こいつは一生、ただの兎のままの予定だ。それでもチート機能は使えるからね。問題ないね。
「えーっと、これで少年時代・夏のフラグは半分くらい潰したか。でも、まだまだ多いなー」
ギャルゲーと夏はご飯と海苔くらい相性がいいのか、とにかくフラグが立ちまくる。
夏休みは宿題が多くて大変だね。マジで。ギャルゲーのメインの舞台となっている季節として一番多いのはやっぱり夏なのだろうか。俺調べでは、春と夏が舞台のギャルゲーは数が多く、その分、玉石混交。秋・冬が舞台のギャルゲーは、春と夏に比べて数は少ないが、玄人好みの名作揃いのイメージだ。
なお、俺の独断と偏見なので保証はできない。
「まあ、結局コツコツ一個ずつトラウマフラグを潰してくしかないんですけどねー」
俺は脳内で効率的なフラグ破壊チャートを考えながら、日常の雑事を終わらせて床についた。

